2017年12月15日 のアーカイブ

世田谷区後援 史跡散歩『冬日散策=鵜ノ木光明寺から池上本門寺へ』の報告

2017年12月15日 金曜日

・実施日  平成29年12月6日(水)

・集合場所 東急多摩川線・鵜の木駅改札口 午後1時00分集合

・参加者   合計44名(内一般の方9名)

・参加費  会員300円、一般500円

 

・コース

鵜の木駅-鵜ノ木松山公園-(天明家屋敷)-増明院-光明寺-(六郷用水跡を池上へ)

徳持神社-池上本門寺(五重塔・墓地・大堂・本殿 など)-池上駅

 

まず近くの鵜ノ木松山公園にて、行程を説明して出発。

途中光明寺では、ご住職の話をお聞きできる予定であったが、用事のためお会いできなかった。しかしわざわざカラー刷りの資料を全員に頂戴した。

鵜ノ木から池上へは、六郷用水路跡をたどって進んだ。

池上では、まず徳持神社にお参りした。その上を素足で歩くと健康になるとのことで評判の健康参道があった。

池上本門寺では、96段の石段があるが、大田区会館のエレベーターを利用して上がった。

池上本門寺は、拝観するところが多い。

五重の塔・幸田露伴のお墓や力道山墓地も訪ねた。そして大堂(祖師堂)にお参りして、川端龍子の遺作となった龍の天井画も拝観した。大堂前で参加者一同集合写真を撮り、あと本殿(釈迦堂)にお参りし、本門寺で解散となった。

 

鵜ノ木松山公園出発前の説明

鵜ノ木松山公園出発前の説明

会長挨拶

会長挨拶

増明院

増明院

光明寺本堂前

光明寺本堂前

徳持神社

徳持神社

本門寺総門

本門寺総門

本門寺五重の塔

本門寺五重の塔

本門寺力道山墓地

本門寺力道山墓地

本門寺大堂前

本門寺大堂前

世田谷区教育委員会後援 講演会の報告

2017年12月15日 金曜日

日 時  平成29年11月29日(水)  午後1時30分~3時30分

会 場  三茶しゃれなあどホール  オリオン(5階)

演 題  幕末・維新の世田谷

講 師  濱中正之氏(生涯大学専任講師・当会顧問)

参加者 71名(内一般の方5名)

 

古い日本から新しい日本へと変革する時期を、「西欧との出会い」「アヘン戦争」「雄藩の改革」「ペリー(黒船)来航」「日本の開国」「幕府の崩壊と新政府の樹立」と六項目に分けて、世田谷との関連でお話を頂戴した。

その一部です。

1850(嘉永3)年11月21日に、井伊直弼が13代彦根藩主となる。その3年後の1853 (嘉永6)年6月3日、ペリー艦隊4隻が浦賀に来航。

その翌日4日には、外輪式蒸気フリゲート艦ミシシッピー号援護の下、測量船が江戸湾内に入る。羽田沖12丁(約1.3㎞)まで侵入。日本との軍事力の格差を認識した幕閣は、6月5日米国の国書受取りを決断し、9日には久里浜で国書を受領。彦根藩2300人・川越藩360人、会津・忍は番船を出して警護にあたる。

さらに同日午後には、ペリー艦隊が江戸湾に侵入し水路測量を行う。世田谷領から人足1,980人、馬396匹が動員される。

世田谷への影響

1853年8月 質素倹約の儀 異国船渡来に付莫大の物入あるに付わきまえるの事

9月 品川沖に台場築立工事開始。明俵70俵を太子堂村より差出す。

11月 井伊藩、羽田・大森周辺の台場の警備を命じられる。

翌1854 (嘉永7・安政元)年1月にペリーが再来航した時には、急送の人足168人、駄馬30匹、名主世話人7人が世田谷井伊領20ヶ村に割り当てられた。このほか神奈川御出馬御用として人足509人、馬36匹。

さらに、上目黒村の御鷹場役所からも御兵糧方人足の供出を命じてきた。「井伊領の村々は、15歳から60歳までの者を残らず差出しても、なお足りなく、一部は雇上げまでしなくてはならない有様で、これ以上の人足割賦を受けることは死活問題である」と御鷹場役所に免除方の嘆願書を出している。

受付

受付

会長挨拶

会長挨拶

 

 

 

 

 

 

講義

講義

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