‘講演会’ カテゴリーのアーカイブ

総会と世田谷区教育委員会後援・講演会のご報告

2018年5月26日 土曜日

日 時 平成30年5月16日(水)

会 場 烏山区民会館 3階集会室

〇総 会 午後1時30分~2時10分
平成29年度事業報告・会計報告・監査報告と、30年度事業計画・会計予算を原案通りご承認いただく。
役員の2年毎の改選期に当たり、会則に基づき新川会長の再任が承認されました。
新役員の紹介があって、総会を終了。

〇講演会 2時30分~3時30分
講 師:下山 照夫氏(当会名誉会長)
参加者 61名
(講演要旨)
キリスト教の伝来は、天文十八年(1549)に、イエズス会士フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸し、布教したことに始まる。
その後天正七年(1579)に来日した巡察師ヴァリニャーノは、日本の風土・人情・習俗などを研究して、神学校・学院・修道院などを建設して布教活動を進めた。結果二百の教会堂と十五万人の信者を数えるまでに発展したという。布教の根本は、恵まれない大衆に多大の奉仕と慈善を施すことにあった。
しかしキリシタンの進展を危惧した豊臣秀吉そして徳川家康は、キリシタン禁令を発布した。江戸幕府が恐れたのは、キリスト教の繁栄である。そこで幕府は、キリスト信者でない証として万人を寺院の檀信徒に強制した。これが寺請制度であり、宗門人別帳である。                以上

当日の様子

総会・奥野副会長挨拶と新役員の紹介

総会・奥野副会長挨拶と新役員の紹介

講演会・講師下山名誉会長

講演会・講師下山名誉会長

総会・奥野副会長挨拶と新役員の紹介等

 

 

 

 

 

会場内

会場内

古文書の説明

古文書の説明

会場内・古文書の説明

 

 

 

 

古文書を見る

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質問

質問

 

 

 

世田谷区教育委員会後援 講演会のご案内

2018年5月26日 土曜日

日 時 平成30年7月18日(水)  午後1時30分~3時30分予定

会 場 三茶しゃれなあどホール  オリオン(5階)

(世田谷区民会館別館) 太子堂2-16-7 TEL3411-6636

(交通)田園都市線・世田谷線三軒茶屋駅下車、徒歩3分

演 題 江戸の天下祭り

講 師 濱中正之氏(生涯大学専任講師・当会顧問)

講演要旨

『江戸の天下祭り』は江戸城内に祭礼の行列が繰り込み、将軍の上覧を許された「神田明神の祭礼」と「山王日枝神社の祭礼」をいいます。
両祭礼は隔年に行われ、およそ日本橋川を境に北側が神田明神の氏子町、南側が山王日枝神社の氏子町といわれています。
江戸時代には、どちらの祭礼も神輿に、各氏子町の「出し」(山車)・「練り物」(音曲・踊りの行列)が加わり、盛大に行われました。
また、氏子町でない町も「附け祭」という形で参加しています。この「附け祭」は、江戸城大奥からの要望で、最新流行の演劇・踊りなどを題材とした「曳き舞台」「練り物」が出されました。各町の企画を江戸の町を仕切る町年寄が選考し、絞り込んだのち、大奥の意向で最終的に題材が決まり、「附け祭」を出すことに決定した町には、幕府から100両前後の支度金が出されました。各町では、それに加え、地主・家持などの分限者の経済的な負担、旦那衆の音曲・唄、舞踊を習う子供のお披露目なども兼て大々的に取り組みました。
将軍の上覧に与かる名誉が、金銭的な負担を越えて評価された時代だったのです。その「天下祭り」が、どのように行われたか、最も華やかだった文化文政期の「神田祭」の「附け祭」を題材にお話しいたします。
現在の「神田祭」は、神輿中心で出し・練り物はありません。それはどうしてでしょうか。時代の変化にもご注目ください。(講師)

資料代 会員500円 、一般700円

※出席の申込は不要です。

平成30年6月4日

世田谷区誌研究会 会長 新川 陽一

世田谷区教育委員会後援 講演会の報告

2018年3月24日 土曜日

日 時 平成30年3月9日(金)  午後1時30分~3時00分
会 場 三茶しゃれなあどホール  オリオン(5階)
演 題 神と仏と日本人
講 師 宮田 修氏(千葉県熊野神社宮司・元NHKアナウンサー)
出席人員 合計64名(うち一般の方9名)

(講演要旨)
大学を卒業して37年間報道一筋のアナウンサーとして働いてきたが、55歳の頃千葉の茂原に近い長南町でお世話になっていた宮司が亡くなり跡を継ぐことになった。通信教育で神官の資格をとり、60歳で地元熊野神社の宮司となった。
わが国には神社本庁に所属する神社だけで8万社あり、神主の資格を持つ神官は2万人にとどまっている。神主不足で自分も実は37社の神主を兼務している。人の住む集落には必ず社があるが、これは日本人のコメつくりと深いかかわりがある。共同体でみんなが食べるコメが豊作である様に祈ったところから神道ははじまっている。
4世紀ごろ朝鮮半島を通じ仏教がもたらされるが、仏教は経典をもとに国を治める宗教として日本に入ってきた。でも日本人は考え方が柔軟で,「習合」という形で両方を受け入れ発展させた。一神教の世界では考えられない融合の状況を作り上げた日本の先祖は素晴らしいと思う。神道をはじめ武道、弓道、茶道、華道、相撲道と、道のつく伝統文化はやはり素晴らしい。

受付

受付

講師

講師

質問

質問

世田谷区教育委員会後援 講演会の報告

2017年12月15日 金曜日

日 時  平成29年11月29日(水)  午後1時30分~3時30分

会 場  三茶しゃれなあどホール  オリオン(5階)

演 題  幕末・維新の世田谷

講 師  濱中正之氏(生涯大学専任講師・当会顧問)

参加者 71名(内一般の方5名)

 

古い日本から新しい日本へと変革する時期を、「西欧との出会い」「アヘン戦争」「雄藩の改革」「ペリー(黒船)来航」「日本の開国」「幕府の崩壊と新政府の樹立」と六項目に分けて、世田谷との関連でお話を頂戴した。

その一部です。

1850(嘉永3)年11月21日に、井伊直弼が13代彦根藩主となる。その3年後の1853 (嘉永6)年6月3日、ペリー艦隊4隻が浦賀に来航。

その翌日4日には、外輪式蒸気フリゲート艦ミシシッピー号援護の下、測量船が江戸湾内に入る。羽田沖12丁(約1.3㎞)まで侵入。日本との軍事力の格差を認識した幕閣は、6月5日米国の国書受取りを決断し、9日には久里浜で国書を受領。彦根藩2300人・川越藩360人、会津・忍は番船を出して警護にあたる。

さらに同日午後には、ペリー艦隊が江戸湾に侵入し水路測量を行う。世田谷領から人足1,980人、馬396匹が動員される。

世田谷への影響

1853年8月 質素倹約の儀 異国船渡来に付莫大の物入あるに付わきまえるの事

9月 品川沖に台場築立工事開始。明俵70俵を太子堂村より差出す。

11月 井伊藩、羽田・大森周辺の台場の警備を命じられる。

翌1854 (嘉永7・安政元)年1月にペリーが再来航した時には、急送の人足168人、駄馬30匹、名主世話人7人が世田谷井伊領20ヶ村に割り当てられた。このほか神奈川御出馬御用として人足509人、馬36匹。

さらに、上目黒村の御鷹場役所からも御兵糧方人足の供出を命じてきた。「井伊領の村々は、15歳から60歳までの者を残らず差出しても、なお足りなく、一部は雇上げまでしなくてはならない有様で、これ以上の人足割賦を受けることは死活問題である」と御鷹場役所に免除方の嘆願書を出している。

受付

受付

会長挨拶

会長挨拶

 

 

 

 

 

 

講義

講義

講義

講義

世田谷区教育委員会後援・講演会のご報告

2017年7月29日 土曜日

当日は、79名(うち一般の方7名)の方が参加されて、開催されましたのでご報告します。

日 時 平成29年7月12日(水)  午後1時30分~3時30分

会 場 三茶しゃれなあどホール  オリオン(5階)

(世田谷区民会館別館) 太子堂2-16-7 TEL3411-6636

講 師 今野慶信氏(新宿歴史博物館・学芸員)

演 題 中世江戸氏について

(講演要旨)

江戸時代初期、世田谷区喜多見に陣屋を構えた喜多見氏は、中世武蔵国の有力武士団 秩父平氏一族である江戸氏の末裔と言われている。

喜多見氏は、戦国時代から世田谷吉良氏の家臣「江戸氏」として登場してくるが、今回はその前段階である平安時代末期から鎌倉時代における鎌倉御家人としての動向と、多摩川下流域に活動を拡げていく南北朝時代における動向を中心にお話しを頂戴した。

平家物語長門本・義経物語巻三・太平記西源院本など参考資料も多く、江戸氏について知識を深めることができた。

 

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総会と世田谷区教育委員会後援講演会のご報告 

2017年5月19日 金曜日

総会と世田谷区教育委員会後援の講演会のご報告をいたします

総会 平成29年5月19日(金)午後1時30分~2時00分

世田谷区太子堂2-16-7 TEL3411-6636

三茶しゃれなあどホール  (世田谷区民会館別館)  オリオン(5階)において会員46名が参加して総会が開かれました。

総会に引き続き午後2時30分~13時30分

高嶋修一氏(青山学院大学経済学部教授)により

土地整理がもたらした現代社会」と題して下記趣旨の講演会は46名の参加があって開かれました。

講演要旨

両大戦間期の都市化においては、鉄道会社による開発の重要性がよく強調される。しかし近郊農村は無人の荒野だったわけではなく、そこには在来の地域社会秩序と人々の暮らしがあった。そして人々は鉄道会社の進出を拱手して見ていた訳ではなく、自らも開発利益を得ようと積極的な動きをみせた。その手段が、土地整理(耕地整理/土地区画整理)だったのである。

土地整理の結果、在来の人々が農業を止めて貸家経営を行うようになったり、整理後の土地にサラリーマンなど「新中産階級」と呼ばれた人々が流入したりしてくれば、従来の社会秩序は変容を余儀なくされる。それは明治期に形成された「近代社会」から、「現代社会」への変化とも総括され得るものであり、土地整理は近郊農村にとって重要な歴史的意義をもつ出来事であった。

今回は、とりわけ世田谷区域で行われた玉川全円耕地整理事業に注目し、事業がいかなる意味で地域社会を「現代」化させたのかを論じることとする。

資料代   会員500円 、一般700円

当日の様子

会長挨拶の様子

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熱心に講演をする高嶋修一講師

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会場の様子

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 (世田谷区教育委員会後援)  講演会のご報告

2017年3月10日 金曜日

世田谷区教育委員会後援の講演会が参加者97名(会員参加者80名、一般参加者17名)の下で開催されましたのでご報告します。

日  時   平成29年3月6日(月) 午後1時30分~3時30分

会  場  三茶しゃれなあど(世田谷区民会館別館) オリオン(5階)

講  師  安藤優一郎氏 (歴史家・文学博士)

演  題   参勤交代の真実

講演要旨

長い大名行列に象徴される参勤交代は、時代劇や時代小説でも良く取り上げられる題材だが、その実態はほとんど知られていない。本講演では、道中で起きた様々な事件を通して、参勤交代の実像と虚像を解き明かしていただく。

以下講演会の様子

受付の様子         熱心に講義をする安藤講師

     

以下会場の様子

     

     

世田谷区教育委員会後援 「学校建築から見た世田谷の教育事情」講演会報告

2016年11月24日 木曜日

 

平成28年11月24日(木) 午後1時30分~3時45分   北沢タウンホール(北沢区民会館) 第一・第二集会室(2階)に於いて下記講演会が開催されました。当日は昭和37年以来54年ぶりの早い初雪に見舞われたために足元の悪い中26名が聴講に集まった。

 

演  題 「 学校建築から見た世田谷の教育事情」

講  師  濵中正之氏 (生涯大学専任講師・世田谷区誌研究会顧問)

講演要旨

戦後、中学校の建設を進める力はまだ自治体になく、校舎不足は2部授業など、児童生徒の学習に大きく影響していた。東京オリンピックを過ぎるころから、鉄筋コンクリート造の校舎が建設され始める。その校舎の耐用年限が近づき、学校改築が焦眉の急となる。その時期に重なって、「総合的な学習」の導入が論議される。

その新しい学習を可能とする学校の改築が始まり、オープンスペースを持つ校舎が建設される。その校舎でどのような特徴を持つ教育が行われているのであろうか。

我々の世代の教育との違いを見ていく。

当日の模様

阿部理事による講師紹介    新川会長挨拶

     

パワーポイントによる講演会の様子

     

 

世田谷区教育委員会後援 「 鉞子に学ぶ 歴史に学ぶ」講演会ご報告

2016年7月15日 金曜日

世田谷区教育委員会後援 講演会のご報告

平成28年7月15日(金) 午後1時30分より 烏山区民会館(烏山区民センター) 3階集会室において

41名の出席の元講演会がおこなわれました。

講  師   内田義雄氏 (ジャーナリスト・元NHKニューヨーク特派員)

演  題  「 鉞子に学ぶ 歴史に学ぶ」

 

当日の様子

受付の様子         中井理事より開会挨拶

    

新川会長の挨拶      講演中の 内田義雄講師

    

会場の様子         資料を紹介する内田義男講師

    

 

 

総会と(世田谷区教育委員会後援)講演会のご報告

2016年5月14日 土曜日

 

平成28年5月13日(金)午後1時30分より烏山区民会館 3階集会室(烏山区民センター)にて

総会と講演会が下記のとおり行われましたのでご報告します。

総 会  午後1時30分~2時30分   総会出席会員69名

講演会  午後2時30分~4時       講演会出席者75名(会員69名、一般参加者6名)

講 師   下山照夫氏 (当会・名誉会長)

演  題  旗本吉良

(要旨) 中世、世田谷領主八代吉良氏朝は天正18年(1590)、小田原征伐にさいし、徳川家康に降伏した。その子頼久は初代旗本で蒔田を名乗り、徳川氏より千葉県長生郡睦合村に知行地1125石を与えられた。その子義祇、義勝、義成,

五代義俊の時世に幕府より蒔田姓から吉良姓に復し、かつ高家を仰付けられた。

かくて吉良義発、義方十一代義常は大島家より養子に入ったが子孫なく絶家となったので、旧家臣団の鈴木家の娘花子が名跡をついでいる。墓所は勝光院。

講師所蔵の貴重な「旗本吉良の古文書」の展示がありました。

総会の様子

新川会長の挨拶       市川理事決算報告

_MG_8289    02市川理事(決算報告)

中村監査より監査報告    内山副会長より事業計画発表

03中村監査役(監査報告)    04内山副会長(事業計画提案)

役員紹介の様子      総会議題は拍手を持って承認可決

_MG_8322    05議案を拍手で承認

引き続き行われた下山名誉会長による講演会の様子

講師下山名誉会長紹介   講演中の下山講師

06内山副会長(下山名誉会長を紹介)    _MG_8359

熱心に講演聞く会場の様子  資料見学の様子

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