せたかいの由来

「世田谷」の地名の初見は、600年以上前にさかのぼる永和2年(1376)、吉良治家が鎌倉鶴岡八幡宮に上弦巻半分の地を寄進した古文書(吉良治家寄進状)です。
表記についてはこのほか、「世田ケ谷」、「せたかい」、「せたがや」なども、その後の史料に見受けられます。
発音表記の最古と思われるものは、永享11年(1439)大野七郎息女ひろ.セタカエの太夫僧都の門弟引担那等5ヶ所を10ヵ年の期限で熊野郡那智宿坊竜寿院に売却する とあり,「セタカエ」が見られます。又天文2年(1533)3月31日付の熊野那智大社文書で、大社を詣でた4名のうちの1人の記載に、「せたかい住 喜村彦五郎」として、「せたかい」が見られます。
また天文22年(1553)4月の熊野那智山宿坊証文の中に、「武州わかハやし いしと新左衛門」とあり、「わかハやし」については「世田谷郷若林」に推定されています。
「せたかい」の表記の発音は、「セタカイ」、「セタガイ」の両方の可能性が考えられます。これは、「わかハやし」の表記が「ワカバヤシ」と発音されただろうと推定されることからも言えます。
50周年を記念する区誌研の機関誌では、「世田谷」の表音が、古くは「せたかい」であったことから、「世田谷」の源流を求める意味合いを込めて、従来の『世田谷(せたかい)』から『せたかい』に改め、新生機関誌として発進すべく、寺内大吉先生にご揮毫を賜りました。
なお、上記古文書については、『世田谷区史料集』第2巻(昭和34年刊行)に収録されています。


せたかい69号目次




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